ひとつ言わせて

すいません、椿屋さんの歌詞を借りておきながら、内容はperidotsです(苦笑)。
しかもたかだか3回くらいしかライブに行ったことのない人のたわ言なので隔離します。




今日、スペシャのメルマガでperidotsのニューシングルの詳細を知りました。
発売日とタイトル(「9月のソーダ」に「9月の木漏れ日」ってそんなに9月にこだわらなくても… 笑)は知っていましたが、作詞作曲が本人でないことを知り、軽く(いや、軽くない)驚き。
でも逆に、MTWBをTVで見た時に感じた“意外なほど爽やか”の<意外>の訳が分かりました。
ホント、そのまま清涼飲料水か何かのCMソングになってもおかしくないような曲ですもんね。
ただ、あの曲<も>peridotsの曲、なら全然いいけど、あの曲<が>peridotsの曲ってなるのはちょっとイヤかなぁ。
まぁ移籍第一弾だし初シングルだし、自分以外の人の作詞作曲を歌うっていうのも(ちょっと複雑だけど 苦笑)新たなチャレンジと言えなくもないか(実際には知りませんが今までの音源になってない曲も含め他の方の作詞作曲の曲を歌うのは初めてなんじゃないでしょうか)。
曲の雰囲気的には、AX以降、ちょっと今までのイメージが変わりつつあるので、意外と言いつつもそこまで違和感は感じません。
ただ、何度も言うけどそれはあくまでたくさんの中の1曲であって、基本は高橋さんが作った歌詞と曲で、高橋さんの世界観で、高橋さんの個性で歌ってほしいなー、と。
<ライフワーク><労働><話を一つ><Freesia><eyes>などなど、音源になっているもの、なっていないもの含めperidotsの歌はperidotsでしか聴けないので。他ではかわりがきかないので。
別にものっすごく特別なことは歌ってないと思うんです(←誤解を受けそうですがいい意味で、です)。
だけど、<その歌詞>を<あの声>で歌うから、どんなに身につまされても、聴く事で普段隠している奥〜の部分をつきつけられても、それでも聴きたいと思うんです。
そして多分それは、高橋さんが作ったものでしか感じられないような気がします。
そう言い切ってしまうのはとても無責任かもしれない。誰が書いてもいい歌詞、いい曲というのは存在するし。でも、やっぱり本人が書いてこそあの息を呑むような、何も動けなくなるような感覚になるような気がするんです。
まぁ、たわ言というかひとり言ですので・・・。