感情


まともな事書けないのに、たまらず吐き出してしまう、そんな日々を過ごすうちにもう週末です。

昨日、「音楽と人」買ってきました。

数ページのインタビューなのに途中で手を止めて、一呼吸入れてまた読みました。

今朝起きて、もう一度読みました。


その内容に…ついて書くわけではない(音人について書けるところまでまだいってない)ですが、やはり部分部分では出てきてしまうのと、音人も全てひっくるめた上での気持ちだったりするので追記にします。


例によって吐き出してるだけ。独りよがりで勝手ですみません…と先に謝って書き逃げします。







毎日毎日吐き出す吐き出すって言って(そして実際して)ますが、それは自分のぐずぐずした気持ちだけです。

その事を知った時から、喪失感だったり、「なんで?なんで!?」という感情であふれていましたが(綺麗事ではなく)4人にその矛先がむくことがありませんでした。
本来ならこの喪失感、気持ちをぶつけてしまいたくなるはずの本人達なのに。

いや、本当の本当の最初はあったかもしれない。
あ、違う。あったかもなんてものじゃないじゃないか!思いっきり八つ当たり的な言葉吐いたじゃないか(猛反省)!
うわ〜、どの口がそんな事言えちゃうんだ〜(あわわ)。
でもそれって条件反射みたいなものでしかなかったと思います。



実際にはメンバーにだってどうしようもない話で、ちらっとでも考えればもちろん矛先が本人達に向くはずもない。
でも、それって<頭>で考えるからであって、実際って違うじゃないですか。
だって毎日毎日椿屋さん椿屋さん言ってるファンなんですから。感情だけはどうにもならない。





ずっとずっと夢見てた<4人で武道館行く>っていう、その何よりもの夢が消えてしまった。

中田くんと永田くんりょうちんとやっちん、4人で四重奏。椿屋四重奏完成形。その形が変わるなんて考えてもいなかった。






ものすごい喪失感。どんなに前に進もうと思っても簡単に元に戻ってしまう。


日常の何気ないことでもそこにつながってしまう。

たとえば昨日の朝、雨続きの後久しぶりに晴れた空を見ながら、「あぁ〜、こんな日は花粉症の人は大変だなぁ。やっちん大丈夫かなぁ」とかね。

いや、それは今までなら何てことない椿屋ファンの日常的な思考なのですが。
でも、日常って<日常>なので(また言葉のドツボにはまってきた…)、区切りがないんです。いつでも、なんです。
で、その度に(考えていながらも受け入れられてない)事実がズドーンとのしかかる感じなんです。


うーーーん。
ちょっと話がずれてしまいました。



話を戻して。
そのどうにもならない、どうしようもない感情をコントロールできずに毎日過ごしていますが、延々自分の中でのみエンドレスリピートなだけです。
どう考えても<大人じゃないファン><のみこめないファン>(←自覚はあります 苦笑)だけど、その感情の向かう先は椿屋さんじゃない。


モバイルサイトで、過去形としてその話を知った時愕然としましたが、今となればそれも理由のひとつかもしれません。
音人の言葉を借りるならダンディズム。
脱退します、だったらすでに気持ちは固まっているであろう椿屋さんに、なんとかならないものかと、それこそ気持ちをぶつけていたかもしれません。
何とかなるならそんな決断はしていないのに。もう散々、なんとかならないかを考え続けて一年間やってきたのに。


でも一番の理由は、5年間かけて四人から受け取ってきたものがあるからです。
それだけのものをもらってきた。それだけのものが椿屋さんとファンにはある。


全然綺麗事じゃないです。ホントに本当の話。


「この五年間の椿屋四重奏は解散しました。」
霧雨での中田くんの言葉を(受け止めきれているかは別にして)、いまやっと<理解>できた様な気がします。





ありがとう・・・とまだ言えないのは、それこそ完全に受け入れて消化しきれていないだけ。
もちろん気持ちはあります。


そして時間がそうさせるのか、昨日の音人を読んだからか、1ミリだけ先に進んだ気がします。
どんなに気持ちが落ちても、戻るところは1ミリ進んだところ。元の場所ではない気がします。
でもそれって大きいよ〜。うん、とっても。


って・・・。
本当に感覚的な話だなぁ(苦笑)。